JDAドローンExperiment 飯沼 純一

【JDAドローンマガジン 2022年7月23日掲載】

日本ドローン協会(以下JDA)の理事の飯沼純一です。

今回は、私がドローンを始めようと思ったきっかけを少し話したいと思います。

私は福島県いわき市在住で、本業はお菓子やパンの材料や資材、機械を卸販売してます。

え?ドローンとは関係ないって?…皆さんそうおっしゃいますよね(笑)

そうなんです!全然本業とは関係ないんです!!

そんな私がなぜドローンを本気でやろうと考えたのか!

※当時の震災の記憶を呼び起こしてしまう内容ですので、不快に思われる方はご遠慮ください。

それは遡ること11年前のあの大震災。東日本大震災です。

私が住んでいる福島県も地震に津波、原発事故と多大なる被害を受けてしまいました。

私の知人もあの日、海の近くで津波に巻き込まれ亡くなってしまいました。

津波に巻き込まれたのは大人だけではなく、子供もたくさんいました。

私がお世話になっていた先輩夫婦も例外ではありませんでした。

先輩夫婦はいわき市の海岸沿いに引っ越し、海からは100mの距離に自宅がありました。

大震災後5年間行方が分からず、本当に心配していました。

そんなある日、突然先輩から一本の電話がありました。

「会って話したい。」と…

驚きやら不安やらで複雑な心境で先輩と会いました。

そこでとんでもない事実を聞かされたのです。

Aさん 「うちの子はあの時、津波にのまれた時、まだ生きていたんだよね…」

私   「え?どういうことですか?」

Aさん 「流された家にしがみついていたらしいんだわ…」

私   「そんな…ならどうして…」

Aさん 「津波の引きの強さで沖に流され、家とともに沈んちゃったと思う…」

私   「なぜその事が分かったのですか?…」

Aさん 「近所のおばちゃんが…見ていたらしい…うちの子がおばちゃん助けてって…自分でもどうしよもなくて、でも罪悪感がいっぱいで、しばらくは夜も眠れなかったって。でも俺ら(Aさん)に話さなくちゃって。伝えるまで5年もかかっちゃってごめんねって言ってくれた」

私   「…」

Aさん 「飯沼君、うちの子は助かるチャンスはあったんだと思う。ヘリコプターでも気球でも

    なんでもいいから空から捜してもらえれば、もしかしたら…」

私   「…」

この2年後にドローンと出会うことになります。

私はドローンの性能を聞いて「これだ!!」とあの時の会話を思い出しました。

本業とは別の事業として、人助けにも貢献できる素晴らしい事業!ドローン事業!!

ここから私の行動が始まりました。

ご覧頂きまして、ありがとうございました!